■■■ 依存・共依存からの脱却 その2 ■■■

~見せかけの優しさ・生ぬるい愛情にさよならを告げる~


あなたの優しさは、本物の優しさですか?


あなたの愛は、本当の愛だと自信を持って言えますか?



あなたは本当の優しさに触れたことがありますか?


あなたは本当の愛に包まれた事がありますか?



優しさにも、愛にも、偽物があります。




見せかけの優しさは、相手の心も体も蝕みます。


たとえ相手が喜んでいるように見えたとしてもです。


見た目は喜んだ顔に見えるでしょうが、

心の奥底の部分で、

当人も気がついていない感情の深い部分で、

空虚が満ちていきます。


喜びが満ちるのではなく、空虚が満ちるのです。


あなたが与えたかったのは、空虚でしょうか?


空虚とは、

さみしさや、

本当には大切に思われていない虚しさ、

と言いかえることができます。


あなたは相手にさみしさを与えたくて行動しますか?


あなたは相手に

「自分は本当には大切に思われていないんだ」

という気持ちを感じてほしくて行動しますか?



その人にとって本当に必要な事を与えず、

世間体のいい事を、

あるいは自分の満足することを与えるのは、

自己満足の優しさです。




自己満足の優しさは、

あなたの現実を直視できない弱さから、

あるいはNOと言えない弱さから、

相手が苦労するのを見たくない弱さから、

あなたの中のあらゆる弱さと傲慢さから発生します。




生ぬるい愛情は、相手の目を曇らせます。


生ぬるい愛情は、相手の目を曇らせて、自分の事をよく見せようとする、

ずるさから発生します。


相手の目を曇らせて、

見えない部分を多くして、

私といると安心だよ、

私といると幸せだよ、と嘘をついているのです。


曇った世界が幸せだと、

曇った視界でいいんだ、

とあなたは本当に思いますか?


生ぬるい愛情は、あなたのずるさと嘘から発生します。



本当の愛情は、相手の目を曇らせません。


しっかりと物事を、現実を見つめられる力を、その人の中に養います。



見せかけの優しさも、生ぬるい愛情も、

相手が自立するのに必要な判断力・感情を奪い取ります。




あなたが相手を本当に本当に大切に思っているならば。


見せかけの優しさを与えたいですか?


生ぬるい愛情を与えたいですか?



あなたが相手に本当に自分の人生を自分で歩んで欲しい、

幸せになってほしいと願っているならば。


あなたはどのような優しさを、

どのような愛情を、

どのような行いを相手に注ぐのでしょうか。




見せかけの優しさには、

見返りを期待するあなたの心がつきものです。


優しさを与えた相手からではなくとも、

誰かに自分の事を認めてほしいという願望が奥底にあるからこその、優しさです。


ですから、見せかけの優しさを与えるために、とっても頑張ります。


苦労している事が、相手に、あるいは周囲の人に分かるまで、頑張ります。


時には自分の体や心が辛くなるまで頑張る事でしょう。


褒められることが嬉しくて、

褒めてもらえるときだけ自分が認められた気がして、

あなたは優しさを提供していませんか?


相手の存在が自分の存在価値であるがゆえに、

あなたは優しさを提供していませんか?


あなたの優しさの、

あなたの行いの本当の動機はなんでしょう?




生ぬるい愛情には、

私がいなければ生きていけない人のままであってほしい、

というあなたの願望がつきものです。


そして、相手と自分を混同していることが多いです。


相手の目を曇らせて、曇らせて、

自分を必要としてくれるように、誘導しているのです。


自分の価値を、頼られる事に見出しているから。



「私がいないとなんにもできないんだから」

「こいつはなんにも知らないから」

と喜んで言うあなた。


あなたは、自分だけがよければいいのでしょうか。


相手の成長や、相手の人生を広い視野で見てみてください。


それでもあなたは

「あなたがいなければ何もできない人」

に相手を育てたいですか?


相手の人生を、相手の人格を、

本当に尊重してあげる事が、あなたにできるでしょうか?


相手の自立に、あなたは耐えられますか?





本当の優しさや、本当の愛情は、時に痛く苦しいものです。


与える方も、受け取る方も。



でも、本当のことは、

本当に人を育てます。


自分の事をよく知り、自分自身を敬い、

自分のいのちに価値を見出せるようになります。




誰に褒められなくても。


頑張りすぎなくても。


誰かに自分の存在価値を見出さなくても。


誰かの目を曇らせなくても。


誰かに嘘をつかなくても。


するい自分でなくとも。


自分のいのちに価値があることを知り、

人生を自分の判断で歩んでいくことができるように、なるのです。



そういった人は、自分を本当に愛することを知っているので、

相手の事も、本当に愛することができます。




自分の大切な人が、

本当の愛という基盤から人間関係を築いて人生を謳歌できたなら、

それは本当に素晴らしいことだと思いませんか?


そのために、あなたには何ができるでしょうか?



あなたが本物の優しさを与えること。


あなたが本当の愛情を示すこと。


囲い込むのではなく自立を促すこと。


そして、あなたが自分自身の人生を精一杯生きること。



あなたが大切な人にしてあげられることは、それだけです。




あなたは、誰に褒められなくとも、

あなたのいのちそのものに価値があります。


あなたは頑張りすぎなくていいのです。


もっと、「自分を」大切にしていいのです。


あなたは誰かに自分の存在価値を任せてしまうほど、小さな存在ではありません。


あなたはしっかりと現実を、人生を見つめて生きる事ができます。


あなたは嘘をつかなくていいのです。


あなたは、本当はずるくなんてありません。


弱さから傲慢になるのは、本当は辛いことですね。





あなたのいのちの価値を。


本物の輝きを。


生きていきましょう。

■■■ 依存・共依存からの脱却 その1 ■■■

~コントロールを手放す~


あなたは誰かに、


「こうして欲しい」


「こうしたらいいんじゃない?」


「こっちの方がいいよ」


と言う時に、相手が完全に自由な選択ができるよう心がけていますか?



相手が親であれ、

子供であれ、

配偶者であれ、

友人であれ、

上司や部下であれ、です。



あなたがいいと思う方向にバイアスをかけた言葉かけをしないよう、

心がけていますか?




相手が自分のひらめきや意志を保ちつつ、

平等にこちらの意見を聞けるように心がけていますか?


むしろこちらの意見を言う前に、

相手の考えやひらめきを引き出すような質問をしてあげていますか?


あるいは何も言わずにそっと、

考えが生まれるまで、ひらめきが生まれるまで、

相手の生みの苦しみを見守ることをしていますか?


相手の考える力、発想力を信じて大切にしていますか?

先回りして、相手が苦労しないような道をアドバイスしてはいませんか?

遠回りに見えても、相手のやりたい事を尊重してあげる事を心がけていますか?






どちらを選択しても、相手の事を責めないでいられていますか?


どちらを選択してもにっこりとしていられますか?


その選択を喜んであげられますか?


その選択を応援してあげられますか?



相手が失敗と思われる事に直面した時に、

「ほらね」 「だから言ったじゃない」

と言わずに、優しく大らかに見守る覚悟をいつもしていますか?





人は、誰もあなたの思った通りにはなりません。


たとえあなたが「幸せになりますように」と願ったとしてもです。


「幸せになりますように」 という願いからでたあなたの言動は、

『あなたの思う』幸せに相手を連れて行こうとします。


けれど人にはそれぞれの考えがあり、

やってみたいことがあり、

やってみなくては分からない事があるのです。


その考えを、

やってみたい事を、

やってみなくては分からない事を本人がやりつくさないと、人は成長できません。



人は、自分の考えを、

やってみたい事を、

やってみなくては分からない事を実行できた時、幸せを感じます。


たとえそれがうまくいかなくてもです。


自分の内側から出てきた考えやアイデアを信じられるようになるからです。


自分の頭を使う喜びがあるからです。


これらはどれ程素晴らしい偉人の言葉に触れる事よりも、大きな喜びをもたらします。



そして自分の考えを、

やってみたい事を、

やってみなくては分からない事を実行できた時、人は成長します。


どうしたらいいのかと試行錯誤して知恵を働かせますし、

こんな風にやればいいんだ、と体験から学んでいるからです。


失敗したと思う事があっても、それで世界が終る訳ではない事を学ぶことができます。


あきらめない人になります。


失敗してはじめて、誰かの言う事に心から素直に耳を傾ける事ができるようになります。


人と協力して生きていくことができるようになります。




つまり、あれこれ世話を焼きすぎたり、

口や手を出し過ぎたり、

自分の思う方向に相手を連れて行こうとするのは、

相手の成長を妨げ、

喜びを奪い、

あなたがいなければだめな人にしてしまっているということです。





あなたがいなければだめな人、何もできない人は、

本当に幸せな状態なのでしょうか?



よく考えてみて下さい。


人の一生を長期的な視野で見てみましょう。


人生は、「今」だけではありません。


これから先どんな人とどのように関わっていくのか、

どのような展開があるのか、だれも知りません。


誰と関わっても、どんなことがあっても、

自分の頭を働かせて、誰かと協調しながら自分の足で歩んでいけることがどれ程大切な事なのかを。



あなたから見て足りない「今」だけ見て、

相手を「だめな人」にしない事が肝要です。



相手の成長を信じ、

いい事も悪い事もぐっとこらえて余計な手出しをせずに体験させてあげましょう。


どん底から這い上がってきて始めて見える景色もあるのです。


「私がいなければだめな人」

という幻想にきっぱりと別れを告げましょう。


そして心の底から相手を信頼し、見守りましょう。


放っておくのとは全く違います。


あなたの丹田に力を込め、見守るのです。



もしあなたが、誰かが自分の思う通りになったことで満足したり喜んでいるとしたら、

あなたはコントロールできたことに快感を覚えているのだと自覚するべきです。



誰かをコントロールすること、支配することに、喜びを感じているのです。



コントロールすることは、相手の自由を奪う事です。


例えば 「素直にいう事を聞くいい人・いい子」 は、

つまりはあなたの思い通りになる人ですね?


それは、相手の幸せや喜びを心から嬉しく思えている状態とは違っています。



あなたのいう事を聞く人は、

あなたのいう事を聞こうと努力する人は、

あなたにとってはいい人かもしれません。


なぜなら、あなたの 「こうして欲しい」 「こうなったらいいのに」 という欲を満足させてくれるから。




けれど、その人のした事は、

努力は、

その人が本当にしたかった事でしょうか?


やり方も、その人がやりたかった方法でしょうか?


それをする事によって喜びを得、心から満足しているでしょうか?



相手に期待する事によって、

その人の内側から出てくる 「ほんとうにやりたいこと」 を奪っていませんか?



「失敗しないように手助けしている」 という体のいい言葉で、

相手のチャレンジを奪っていませんか?


相手の失敗する権利を奪っていませんか?


失敗してはじめて分かる事があり、その時に失敗は失敗でなくなるのです。


失敗する権利を奪うという事は、成長する権利を奪っているという事でもあります。



そしてコントロールによって満足を覚えているあなたは、

実はコントロールされている人と同じく、

自分の内側から湧いてくる考えを、

自分のやってみたい事を、

やってみなくては分からない事に目をつむり続けているのです。



相手を操作することに一生懸命になるという事は、そういう事です。


どうにかして誰かを変えようとしている時に、

あなた自身が自分の内側から湧いてくる考えを大切にできている訳がありません。



目の前の相手の振舞いや言動に一喜一憂し、

どうにかしようと心を砕き、振り回されています。


心を砕き、振り回されているので

「こんなに一生懸命やっているのだから、きっと相手も変わってくれるはず」

という思いすら抱き始めます。


これはあなたの思い込みです。


繰り返し言いますが、人は、誰もあなたの思った通りにはなりません。



誰かをコントロールすることに心を傾け、

時間を割いている場合ではありません。


あなたも、自分を取り戻しましょう。


あなたの考えを、あなたのやってみたい事を、

あなたのやってみなくては分からない事を実行に移しましょう。


そして失敗してみましょう。

成功もしてみましょう。


自分の人生を歩みましょう。


自分の人生を、自分のものにしましょう。


相手の人生を、相手に返しましょう。




人が誰かにできることがあるとするならば、

「こんな道もあるよ」

と相手が見えてなかった道を指し示すだけです。


「あなたの見えている道の他にこちらの道もあるけれど、

どちらを選ぶのも完全にあなたの自由だよ。

だから自分で選んでごらん。」



そうして、その人が歩むのを見守り、

自分は自分の道を歩んでいくのです。


道は違っていても、助け合う事はできます。


知恵を出し合って難局を乗り切ることもできます。


一緒に遊ぶこともできるでしょう。


けれど、自分の道は自分にしか歩めませんし、

あなたは誰かほかの人の道を歩くことはできないのです。


そして自分の道に誰かを引っ張り込む事もできません。


引っ張り込んだらとても窮屈になって、

引っ張り込まれた相手も自分も伸び伸びと成長できなくなり、

結果お互いが辛い思いをします。


また、相手が歩もうとしている道以外に強引にレールを敷いて、

そこにその人を放り込むこともできません。


相手は自分で道を歩む力がつけられなくなりますし、

そのレールがいくらあなたにとって良いものに思えても、

相手にとっていいものだとは限りません。


それにこのようなレールの上を歩くのは大きな無価値観に襲われることでしょうし、

大変な孤独感を味わう事でしょう。


歩いても歩いても、自分の生み出した道ではないのですから。





自分の人生を、自分でしっかりと歩もうと決めましょう。

相手の人生をコントロールすることを、やめましょう。

善意からのコントロールもやめましょう。




人は、自分の人生をしっかりと生きることで輝きを放ちます。

その輝きを見て、周囲の人が自然と変わっていきます。

内側から発する輝きが、自分も、誰かも、本当に生かすのです。



あなたの生きる姿が説得力を持ちはじめると、

コントロールしようとしなくとも、あなたの大切な人は幸せへの道を歩み始めようとするでしょう。




あなたにできることは、自分が幸せになること。

それだけです。

徹底的に、自分を幸せにしていきましょう。

■■■依存・共依存について その3■■■

【依存・共依存の思考パターンのベースにあるもの】

 

「○○がなければできない」

 
「○○がないからできない」

 
「○○してくれないからできない」

 
「いつも思い通りにならない」

 
「思い通りにいかないくらいなら、しない方がいい」

 
「自分一人ではなにも満足にできないのではないかと思う」

 
「私がいなくてはこの人はなにもできない」

 
「これだけしてあげているのだから、○○するのは当然」

 
「私の言う通りにしていれば大丈夫なのだから○○しなさい」

 
「こんなに頑張っているのに」

 
「どうして分かってくれないの」

 
「この人は自分のことを分かってくれているはず」

 



・・・・ここから見えてくるもの・・・・


 


たくさんの言い訳

出来ない事に対するもっともらしい理由づけ

自己中心的な思考

甘えた考え⇒「自分一人くらいいいだろう」「このくらいいいだろう」

無用なプライドの高さと完璧主義

被害者意識

優越感

劣等感

頭でっかち

知識を盾にする

知識はたくさん知っているが智恵を使うことはあまりない

不安が大きい

失敗を極度に恐れ、恐れから何も自らチャレンジすることができない

自分は何もチャレンジしていないのに、高みの見物で頑張っている人の失敗や苦労を馬鹿にする思考→「だからそんな事しなければよかったのに」「ほらね」

他人の成功を素直に喜ぶことができない

他人の頑張りを認めることをせずに「あの人は特別だから」など能力や持っている物だけで成功を評価する

常に自らの基準で他人を評価しているので、他人と対等な関係になれない
目に見える成功の度合いや、持っている物で自分より上か下かを評価し、上の人には卑屈になり、下の人には傲慢になる

できないことは人や環境のせい、出来たことは自分の手柄とする

弱いところがある人でないと、人間関係の中で自分の居場所がなく感じる

常に取引の思考がある

コントロールしたがる

権力を持つことに執着がある

家庭内、職場内、友人関係などあらゆる人間関係の中で権力を持つことに執着し、権力者に敏感

無条件に他人を認めることができない=条件付きで見ている

愛を欲している

見返りがほしい

愛ですら見返りのあるものだと思っている

いつも自分を見ていてほしい

自己の無価値観

自意識過剰

ずれた自己肯定感=いつも認めてもらえないという不満

被害者意識からくる無用な自己犠牲

自分を「かわいそう」だと思っている

他人の苦労を「かわいそう」としか思えない

閉鎖的

いつまでも相手に弱いところがあってほしい⇒「私がしてあげるから」=頼られる事によって自分の存在価値が発生する

巧妙に相手を依存させたままでいるようにコントロールしている

相手の欲求を受け入れて被害者でいるようでいて、実は自分の願望を実現している

相手を試したがる=愛を確認したがる

被害者であると同時に加害者

現状が苦しいと言いながら変わろうとしない

自分の都合がいい風にだけ、変わりたがる

いつも、時には何年も同じ不平不満を持っている

他人のアドバイスに耳を傾けられない

頑固

未来を不安がり、過去を懐かしむ→今ここ、を生きていない

身近な人の成功や栄誉を自分の事のようにふるまう

いい人でいたい、いい子でいたい

いい人=怒らない人だと思っているから、怒れない

喜びはいいもので、悲しみや怒りはよくないものだと思っている

突発的な出来事に対して柔軟な対応をすることが苦手

新しい環境に対して過剰な不安→時には敵意をむき出しに

思い通りにいかないと、まわりがみんな敵に思える

自分の中に見つめるべき問題点があると思えない

 




~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 



依存・共依存は、程度の大きい小さいはあるにせよ、多くの人の中にあるものです。

 
自覚していなくても、多くの人の中にあります。

 

依存や共依存は、悪いものではありません。

 
その構造の中でこれまで成長してきて、いのちを保ってきたことに感謝しましょう。

 
自分の頑張りを認め、「この中でよく頑張ってきたね」と自分に声をかけてあげましょう。

 


依存と共依存は、強烈な甘えの構造から成り立っています。


上記のフレーズが、完璧なパズルのようにがっちりと組み合わさってできており、

つまりはその構造の中では上記のフレーズが常識となっているのです。


常識となっているので、とても気づきにくい。



通常、思春期や反抗期、あるいは社会との接点を持つ時期に自分と世間とのギャップに気づき、

試行錯誤して改善を図っていけるものです。


それが自立し、大人になる、ということです。


しかし、例えば家庭が強固な共依存の関係で閉鎖的であると、

家庭が逃げ場所になってしまって「自分はこれでいい」と勘違いしたまま大人になってしまい、

結果社会や世間との摩擦が度々あり、生きにくさを感じている人が大勢います。



しかしもしあなたが上に掲げたフレーズの中で苦しんでいる事があるとしたら。


上に掲げたフレーズにかちんときたり、怒りが湧いてきたり、悲しくなったり、涙が出たりしたならば。


あなたは依存と甘えの構造から自立することが必ずできます。



少しずつ、少しずつ。

 
年月をかけて。



愛のある自立の体験を積み重ねていくこと。


他人との平等な愛の関係の中でだけ、甘えと依存の構造から脱却する機会を得、自立することができるのです。


自由で平等な人間関係を体験することで、これまでの関係の不自由さにほんとうに気づくことができます。


これまでの体験を越えていくには、新しい愛の体験を積み重ねていくこと。


これに変わるものはありません。


体験を積まなければ、いくら本を読んでも、セミナーにでても、頭で理解して終わってしまいます。


頭での理解を超えるのは、体験だけです。



自分の人生を自分で歩むことを教えてもらえる機会があまりに少なかったことに怒りましょう。


どうして人生で一番大切な事を教えてくれなかったのかと。

 
信頼と、自由と、平等に基づく人間関係をどうして教えてくれなかったのかと。

 
けれど、育ててくれた大人たちもまた、それを教えてもらっていなかったのです。

 
そのまた大人たちたちも、そのまた大人たちも。



だれも教えてくれなかったことでも、自分の人生の体験を通して得ることが必ずできます。


あなたがそう決意しさえすれば。


自分はほんとうに幸せになると決意しさえすれば。

 
自分は真に自由になると決意しさえすれば。

 
他人と平等で愛に満ちた関係を築こうと決意しさえすれば。

 
甘えと依存の構造の呪縛から自立しようと決意しさえすれば。



必要なレッスンがあなたの前に現実として表れるでしょう。


それに逃げずに取り組みましょう。


最初は特に大変ですが、大丈夫。

あなたならきっと、越えていくことができます。


必要な人があなたの前に現われるでしょう。


タイミングを逃さず、会いたい人には会いましょう。


大人になってからも、友人を作ることはできます。

しかも、本当に信頼できる友人を。


友人は人生の宝となります。


必要なセッションやワークショップがあなたの前に現われるでしょう。


怖いと思っても飛び込んでみましょう。


あなたには勇気があります。大丈夫。



楽しさを自分に与えましょう。

 
楽しさは、あなたを幸せにします。

 
幸せになることは、自立の最も大切な要素の一つです。



自分をゆるしましょう。

 
どんな自分でもそれが自分だと認めましょう。

 
そしてそんな自分から始めることを、あきらめないこと。

 
生きているということは、ゆるされているということです。

 
許されていることに感謝し、責任を持って幸せになりましょう。



傍観者でいては、人生では何もつかめません。

生きている実感も湧きません。

 
自分の人生を納得できるものにしたいのならば、

生きているという実感を感じたいならば、能動的になりましょう。


リスクをとって能動的に体験し、実りを得ることは傍観者には決してできません。 



自分が何をしたいのか。

 
自分はどう在りたいのか。

 
常に最善を選択しつづけることが、あなたにはできます。

 
常に最善を選択し続けるということは、「今ここ」を地道に着実に生きていくことです。 



だれも教えてくれなかったことを、あなたは自分の人生の体験を通して学ぶでしょう。


それらは、「知恵」 「叡智」と呼ばれるものです。

 
これこそが、私たちの本当に伝えられること。

 
次世代に残すべき価値あるもの。

 
子供がいてもいなくても、あなたの中に蓄えられた智恵は、時を越えて多くの人の中に息づいていくことでしょう。

 

依存・共依存・甘えの構造から自立するとき、

あなたはこころもからだも健やかであることができます。